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2017年11月4日土曜日

1.2.2.4 Religion

「神」という意味の単語[∗pee (y), ∗peen. 4438, in SD II, but in SD I ‘devil’] と「王」という意味の単語 ∗koo/ ∗koont- [2177]がある。動物の犠牲を祈りの成就のために行っていた。この単語 *weeLはおそらく南インドのアーリア化の後に「火で作られた供物」という意味に変わった。テルグ語におけるweel-cuは「炎で犠牲とすること」であり、weelpuは「神」を表す。これら*weeL(*weH-Lにさかのぼる)の意味は「祈る、望む」であった。動物の犠牲を表す特別な動詞はaL-V-kkは南ドラヴィダ語Ⅱとブラーフイー語で存在した。「汚染」(*pul-V)は様々な状況に見られる。月経を表す*muTTu、誕生を表す*pur-uTu、死などである。ドラヴィダ祖語を話してた人々の宗教的儀式は良く分かっていない。学者は現在の儀式的実践の規定において彼らに関して推測している。

TDL p.11まで

1.2.2 Proto-Dravidian culture

 ドラヴィダ祖語の話者の文化は基本的にDEDR(1984)の比較単語によって再構される。これに類似したものが他の語族に対しても行われている(Mallory 1989: ch. 5)。しかし、
ドラヴィダ語族には、いくつかの制限がある。:

 1. 四つのドラヴィダ語は、紀元前から11世紀の間に歴史と文学を残している。文語の有効な辞書は、それぞれの10万以上の単語・語法に広範囲にわたっている。口語に関してはこれは同一水準で残っていない。トゥル語は現在六種の辞書があるが、コダグ語にはそれほどのトゥル語と同じほどの準文学的な辞書がない。The BaDaga-English Dictionary 1992 by Hockings and Pilot-Raichoor はかなり大きな辞書である。残りの二十また口語はとにかく記録されていない。したがって、ほとんどの同根語は、南ドラヴィダIに属するタミル語、マラヤーラム語、カンナダ語と南DravidianIIに属するテルグ語の4つの文学言語になる。他のグループにおける借用語の不在は単語または概念がドラヴィダ祖語に無かったということを代表している。マイナー言語における名前(借用語)の存在とメジャー言語におけるその除外は文語においてそれが消滅するという重要な現象がみられる。しかし、逆はない。

 2. 史料の意味論的変化はある程度、原義と変化の潮流を識別するための手掛かりをくれる。私たちは確かな歴史的、論理的根拠に着目し、これらのいくつかが推論的存在の危機である。

2017年11月3日金曜日

1.2.1.1 Early traces of Dravidian words

カルドウェルとその他の学者はドラヴィダ語族のいくつかの固有語に対してギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語からの単語を参照して言及している。これらの信憑性は議論の対象とされている。少なくとも以下二つの例に関してはもっともらしくみえる。

(1) 希 oruza/oryza/orynda "米" と PD *war-inci > タミル. マラヤーラム.  テルグ. wari Pa. verci(Ⅰ) Gad. varci(Ⅰ) Gondi wanji "米" [DEDR 5265]
この例においてはタミル arisi(南ドラヴィダ祖語 *ariki)に関してはカルドウェルは次のように言及している。
古ペルシャ語 virinza skt. vrīhi- "rice" 非インド・ヨーロッパ語源はドラヴィダ語族からの借用年代決定においては問題を引き起こしている。(?)
(2) 希 ziggiberis/zingiberis "生姜"は南ドラヴィダ祖語の合成語名詞 *cinki-wér (PD * wér "根") > パーリ語 singi, singivera, skt. SrNgavera-; タミル語 マラヤーラム語におけるinyciは*cinkiの*c [>s >h> ] > Øと-kが前母音の前において軟子音化する規則に沿う。ギリシャ人地理学者プリニ(紀元後1世紀)とプトレマイオス(紀元後3世紀)に引用された南インドの地名の多数は、-our, -ouraで終わっているが、これはūr "街"(PD *ūr)である。
これは紀元前2000年あたりにアーリア人が入ってきたときに北西インドにドラヴィダ人がいたという確証である。リグヴェーダ時代のサンスクリットつまり紀元前1500年ごろの早期サンスクリットはすでに数十の語彙を借用していたことが知られている。例として、ulūkhala- "しっくい", kuNDa "穴を掘る", khála- "脱穀場", káNa- "一つ目の", mayūna "クジャク"などを1954年にエメノーがあげている。リグヴェーダ時代からのそり舌子音の導入はサンスクリット話者とドラヴィダ語族との接触によるものであるとされる。
ロシアのインド学者ニキータ=グーロフはリグヴェーダにおける80語ほどの単語がドラヴィダ語から来ているとした。(第一、第十またその他のマンダラの146の賛美詩に現れる)
例として、RV 1.33.3 vaila (sthána-) ‘open space’: PD ∗wayal ‘open space, field’
[5258], RV 10.15 kiyámbu ‘a water plant’: PD ∗keyampu (<∗kecampu) ‘Arum colacasia, yam’ [2004], RV 1.144 vrís ‘finger’: PD ∗wirinc- [5409], RV 1.71, 8.40 víLu ‘stronghold’: PD ∗wītu ‘house, abode, camp’ [5393], sīra ‘plough’: PD ∗c¯er, RV 8.77 kánuk : PD ∗kánikkay . ‘gift’ [1443] ‘T.Ya. ElizarenkovaはkáNukaは不明瞭な意味の単語であり、これも多分印欧語族に属さない語源であるとした。
グーロフはいくつかの固有名詞に関しても引用し、namuci, kīkaTa, paramagandaはドラヴィダ語族語源であるだろうとした。

TDL p.6 中段まで