2020年7月27日月曜日

リパラオネ近現代文学について

 リパラオネ近代文学を準備したのは詩韻文復興運動とフィメノーウル的教法文学という二つの潮流であった。イフトーン時代前期までの韻散文学の時代(セスティニル)が近現代文学へと変化し、散文文学の時代(ロスクヴェッリヴィル)へと変化する最後の境界線である。

 詩韻文復興運動は16世紀のエスポーノ・ドーハによるスキュリオーティエ叙事詩の翻訳に始まる。エスポーノ・ドーハの懐古主義的著作を中心に、ナショナリズムの時代に近づくとともに詩韻文復興運動が始まった。14世紀に起こったヴェフィス市民革命以降、ナショナリズムは言語文体にも影響を与えた。リパラオネ圏ではそれまでのラネーメ文学に範をとった中世までの文学から、「純粋にリパラオネ的な文学」の再興を目指したものが詩韻文復興運動であった。関係する文学者はエスポーノ・ドーハ、スカースナ・トゥリオイユなどである。
 これに反して、スニーオーヴェイノ以降の散文的伝統を継承したのがフィメノーウル的教法文学であった。フィシャ・トゥスティナフィス・フェレサファなどは市民革命以前のリパライン語の文学伝統を破壊し、無思慮に古い詩の体系を持ち込み、粗野で崩れたリパライン語を文芸作品として広めているとして非難していた。フィメノーウル的教法文学は前の時代のサルシュナース文学のテーマを継承しながら、リパラオネ教法学的な世界観や倫理観を作品に映し出す教法文学として発達していった。

 詩韻文復興運動は17世紀に入ると当時荒廃していたクローメを再建することによって伝統的な詩学院の機能と権威の復活を目指した。これにはナショナリズム的な意図が多分に含まれていたが、詩韻文復興運動の行く先に大きな変化を与えることになる。
 17世紀復興運動の主役となったのは三つのクローメであった。
 まず、世界最初のクローメであったクローメ・フォン・ブラーデン・アルヴェルクトゥス(Klorma fon blarden alvelktus/KFBA)である。KFBAはもともと荒廃していたわけではなくこの時期に至ってもある程度の権威を保っていたが文学的ナショナリズムを受けて陰りを見せていた人気が再度復活した。これには特に次に述べるルティーセ詩学院を復興する自主運動の影響が強かった。ジェパークローマはフィシャ・ユミリア(fixa.iumilija)である。
 次にリパラオネ六名家によるルティーセ詩学院(lutirce'd klorme)である。ルティーセ詩学院は1654年に中世の名門魔術学院と併合されてルティーセ学院大学として解消されていたが、復興運動に共感する学生と教師たちが大学の内部で自主活動的に再建された。ジェパークローマはヒンゲンファール・ヴァラー・ユトゥザフ(hinggenferl valar ytusaf)である。
 最後にシェルケン系詩学院であるヴァルトルとファラヴェのクローマたち(klormass fon valtoal ad falave/KFVF)である。KFVFは再建されたものではなく、1411年にリパラオネ人知識人フィシャ・カルティヤ(fixa.kaltija)によって設立された「現実における国際リパラインの豊かな利用者による改善連合:サラリス」(Cierjustel Acca Luserss Aduarneo la Lipalain Ispienj Cirlavenj : CALALIC)から排除されたxelken.valtoalのメンバーが言語ナショナリズムに乗じて独自に設立したクローメである。ジェパークローマはシェルケン・ヴェンタフ(xelken.ventaf)である。

 この三つのクローメはスキュリオーティエ叙事詩に対して、それぞれ大きく異なるアプローチを取ったため、それらが後に復興運動の分裂の原因となった。
 KFBAは素描派(vaskyli'ergera)またはユミリア主義(iumilijavera)、ルティーセ詩学院は引用派(diravera)またはユトゥザフ主義(ytusafera)、KFVFは形式派(celavera)またはヴェンタフ主義(ventafera)と呼ばれる文学思潮を主導していた。

 素描派はスキュリオーティエ叙事詩の物語の筋に焦点を当てた。世界で最初のクローマの伝統を次ぐものとしてフィシャ・ユミリアが指し示した詩学指導の方針はスキュリオーティエ叙事詩をひたすら暗唱し、話の筋まで暗記させることであった。そうして暗記させたスキュリオーティエ叙事詩の話の筋を模写するよう、或いは改作するように詩作をさせた。ユフィアやフェヴィア、ハルタンなどの登場人物はそれまでそれほど有名ではなかったが、素描派の文学によってこの時期から語法などに定着するようになっていった。17世紀復興運動の中では最も保守的と見做されている。
 引用派はスキュリオーティエ叙事詩の文章を引用して、詩やスニーオーヴェイノを作ることを中心として活動した。ルティーセ学院はアレステーゼ(alesterse)、アカデミス(akademic)、ブラーデン・アルヴェルクトゥス(BA)を標榜していたため、詩学院が進める文学の活動を進歩的で啓蒙的なものとすることを目指していた。ヒンゲンファール・ヴァラー・ユトゥザフはドイツ詩の定形Glosseのようなスキュリオーティエ叙事詩の一部を引用し、詩の中のテーマとして繰り返す定形としてロフテル詩形を確立している。17世紀復興運動の中では前衛的で進歩的であり、それ自体は保守的な復興運動の中で唯一スニーオーヴェイノを認めるなど散文への理解も見られた。
 形式派はスキュリオーティエ叙事詩を至上のものと見なし、それを手本とはするものの引用や改作、模写をすることをタブーとした。形式派が求めたのは沿うべき文学的形式となった。ここでシェルケン・ヴェンタフが取り上げたのがスキュリオーティエ叙事詩やエスポーノ・ドーハの詩の形式であった。スキュル詩形に沿って作られた詩は元々保守的であったKFVFの方向性を様々に分裂させた。リパナス的なリパラオネ民族主義を中心にリパラオネ民族を肯定的に捉えようとした形式派歴史主義(celaveranasch philifiarvera)、レシュト的な政治改革運動を文学に表そうとした形式派レシュト主義(celaveranasch lextera)、チャショーテ的な革命哲学を詩によって表そうと考えた形式派革命主義(celaveranasch xolera)などに分裂していった。

 同じく17世紀においては散文文学も変化が生じていた。フィメノーウル的教法文学はナショナリズムと17世紀復興運動の影響を少なからず受けていた。サルシュナース的教法文学の先鋒であるフィシャ・トゥスティナフィス・フェレサファはこの運動を「伝統的文学の俎上に上げられたものとしてのリパラオネ民族主義」と呼び、民族主義やナショナリズム的な文学の構築を目指した。
 1655年、レシュトの内部抗争が終わり、リパラオネ連邦共和国が成立。第一次国家統一戦争(1te elm fon homeen-assio)へと向かう中で変化していく社会、思想、政治は文学に強い影響を与えてきた。この中でフィメノーウル的教法文学に強く影響したのは宗教的意識の変化であった。それまでヴェフィス人がリパラオネ教社会の中で少数派として信仰していたフィメノーウル信仰に対して、ADLP以降のリパラオネ教社会は異端の信仰として弾圧を深めていった。これに対して近代においては市民革命による最高尊厳(vasprard)概念の確立やナショナリズム的歴史学におけるピリフィアー紀元前4465年のサーム講和条約の再認を通してフィメノーウル信仰はより中立的な視点を持って触れやすくなった。ヴェフィス人がリパラオネ人に含まれることからもフィメノーウル信仰がリパラオネ性に近づく一つの道として認識された。サルシュナース的な異国趣味を残しながら、近代へと向かうリパラオネ散文文学の方向性を定めた。

 詩学の形式主義・創造主義論争は17世紀から始まっており、言語表現に形式を課すことによって言語表現が修辞的表現を得て更に文学的な価値を得て前進するとする形式主義(akrapsverlergera)と詩人の感性による創造性が詩の形式を呼び寄せることによって形式は成立するだけであり形式自体が先にあるわけではないとする創造主義(lojera)があった。引用派や形式派は形式主義を支持し、素描派は創造主義を支持した。
 散文作家たちの大半は形式主義に基づいてその価値を利用して散文が生み出されるという考え方を採用した。形式主義を強く志向する作家は意識的に17世紀復興運動が生み出してきた表現を散文に引用した。これによって18世紀の散文文学に繋がる詩語文体が形成されていった。アレーナ・デーリエ(Elaina d'Ailie)などの散文作家の一部はそれに対して創造主義を主張した。創造主義散文文学は詩文学の特権性を否定し、散文自身が価値を生み出すために詩的な文章の伝統を取り除く前衛的な文学になっていった。

 18世紀に入ると、1722年の第一次国家統一戦争、1735年のレアディオ・ブルミッフェル戦争などリパラオネ圏全体を巻き込んだ総力戦によって文学は発展を阻害された。リパラオネ連邦共和国を中心として、チャショーテ的な考え方が主流となった。そして、圧政機構的な政府の検閲によって娯楽的出版物は読みやすい散文が主流となっていく。ラネーメ民族主義的ラネーメ人であるラディールゲーと土着的ラネーメ人であるパイルターファが対立を始め、リパラオネ民族主義の煽りを受けてフィメノーウル的教法文学もフィメノーウルがラネーメ的であることから敬遠され、Xelkenによる大規模テロによって保守的な文学自体も敬遠されるようになった。この頃からそれまで文学は文学自体の美を楽しむものではないと考えられていたのに対して、そうではない「純文学」(flan krantie)という概念が生まれた。
 Xelkenによって伝えられたハタ王国像がファイクレオネで変化して生まれたスカメイ伝説はこの頃のリパラオネ文学には取り上げやすいテーマであった。形式主義散文作家と創造主義散文作家の対立はまだ続いており、創造主義散文作家はスカメイ伝説を取り上げ様々な前衛的な文章実験を行った。その派生として生まれたのが伝統から距離を置きながらも大衆に受け入れられ楽しまれた「大衆文学」(alfal krantie)という概念であった。スカメイ文学は大量のユーゴック語借用語がリパライン語に定着する最初の一歩となった。
 一方で形式主義散文作家は17世紀的な復興運動の匂いを残していた。詩語文体で6~8世紀に流行った詩のジャンルであるヴェーリェストライジア(verliestraisi'a)を模倣し、叙情詩的で恋愛を内容の中心としながらもスキュリオーティエ叙事詩に登場するようなヴェフィサイトが主人公となるスキュルストライジア(skylstraisi'a)というジャンルが興った。

 19世紀以降はレシェール・ヴェンタフを始めとする近代思想家たちの時代に入ってゆく。近代法制、volciへの批判、比較言語学や人類学、考古学研究の発展は文学に様々な影響を与えていった。これを特に受容したのは伝統の継承者であり、純文学の表現者を自認する形式主義者ではなく、創造主義から生まれた大衆文学の表現者たちであった。1995年にターフ・ヴィール・イェスカの哲学書「統一と解消」が発表されると主体的統一を文学批評に応用したイェスカ主義的詩学が生まれ、形式主義・創造主義論争は鳴りを潜めた。イェスカ主義詩学では形式と文章は相互に影響を与えあっているとして形式主義や創造主義という区分自体がナンセンスだと切り捨てた。
 こうして形式主義と創造主義から生まれた「純文学」と「大衆文学」は骨抜きになりながらも亡霊のように現代リパラオネ文学に引き継がれている。

2020年7月6日月曜日

ラネーメ民話「大遠小周」の翻訳

《nistaxerf mors mol nistastieniesal》
salfli'ar tisod elx selene icveo lex kafi'a nikul'd lyx.
la lex veles talso fulx cene firlexo mels eter'd fusaf.
mal, salfli'ar derok lartass mels melferto la lex.
pa, lyx veles niv melferto.
salfli'ar nea lkurf ny la lex.
"edixa deliu mi text larta zu es niv etxaata."
snylod larta dytysnon klie mal lkurf ny la lex.
"Lu salfli'arsti, harmie selene co firlex lartassa'd fusaf?"
Salfli'ar vietist ny la lex.
"Corln voles nieciser's faller loler larta fal undestan. Mi ydicel la lex."
Snylod larta vietist ny la lex.
"Mal, Salfli'arsti, harmie co tisod niv mels mele'd lartass?"
Mal, Edixa salfli'ar firlex ny la lex.
Deliu larta ylettavon morliul faistavertz.

《大遠小周》
(以下、jekto.vatimeliju)
ある王が、光る龍の卵を得たいと思った。
この卵を食べると人の心を知ることができる、と言われている。
ということで人をそこかしこに行かせた。
しかしながら卵は無かった。
王は「(卵を見つけるには)バカでない人がここに来るべきだろう」と思った。
新たな人が来て「王様、なぜ人の心を知ろうとするのですか?」と言った。
王はそれに対して、「(世の中には)多くの人がいるので、私に抗おうとする人が必ずいるはずだ。それが恐ろしいのだ」と返事した。
再び(賢者が)言った。「では王様はなぜ近くの人々のことを思わないのですか?」
王はついに近くにある小さな物というのは軽視すべきものではなく、重要視すべきものだと理解した。

或(あ)る王(わう)光(ひか)りたる龍(りゅう)の卵(たまご)を受(え)んと心(ほっ)す。
人(ひと)言(い)ふ、此(こ)の卵(たまご)を口(く)らへば即(すなは)ち力(よ)く人(ひと)の心(こころ)を識(し)る。
而(しかう)して人(ひと)をして此亦彼処(そこかしこ)於(に)行(い)か与(し)む。別而(しかれ)ども卵(たまご)無(な)し。
王(わう)心(おも)ふに、獣(おろか)なら無(ざ)る之(の)人(ひと)須(すべか)らく来(き)たるべしと。
新(あらた)なる人(ひと)来(き)たり而(て)言(い)はく、「御(おん)王(わう)噫(よ)。何(なんのゆゑ)に於(お)いてか人(ひと)の心(こころ)を識(し)らんとするや?」
反(かへ)して言(い)はく、「人(ひと)多(おほ)けれ而(ば)我(われ)に抗(あらが)はんとする之(の)人(ひと)須(まさ)に在(あ)るべし。此(これ)怖(おそろ)し」
再(ふた)たび言(い)はく、「而(しかう)して汝(おかみ)何(なんのゆゑ)に於(お)いてか周(ちか)き人等(ひとびと)を心(おも)は無(ざ)るや?」
王(わう)終(つひ)に識(し)る、周(ちかく)に在(あ)る之(の)小(ちひ)さき物(もの)軽(かろ)から無(ず)し而(て)錘(おも)しと。

2020年2月16日日曜日

現代標準リパライン語の複数語尾に関して

考えていたことをそのまま書いているので大分ごちゃごちゃな文章になっています。



最近、複数(と、以下で書くのはリパラオネ語族の用語で厳密には「多数性」だが)に関して思うことがあったのでまとめて書き残しておく。

そもそもこの話で思ったのは、現代標準リパライン語での複数語尾が何故-ssなのかということである。古典リパライン語の複数語尾は-sである。

まあ、本来リパラオネ語族には複数語尾なんてものは無かったのかもしれない(以下にリパライン語以外の複数の表し方を調べて書いてみる)
ヴェフィス語で複数を表す方法は専ら形容詞 jais 「多くの」の変化形であり、複数のための語尾は存在しない。
現代フラッドシャー語では代名詞では-sが元となった複数形が存在し、普通名詞の複数語尾の元は*-eusらしい。おかげで単語がウムラウトする場合がある。

この jais は語源が jer 「食べる、食べ物」らしいからよくわからないが、フラッドシャー語における複数語尾のもとである*-eusだとか標準現代リパライン語の-ss、挙句の果てには古典リパライン語-sまで元々は jais, jer のような単語だったのではないだろうか。
すると、リパラオネ祖語の複数語尾は *-s ではなく元々 *[j]eus みたいな形であり、ヴェフィス語ではfi型形容詞変化の単語として基本形が jais として扱われるようになっていった(から、元々はjeusみたいな形なのかも知れないけど)のかもしれない。ヴェフィス語jが理語/dz/の音素になっているのは古理語からの変化時に生じたものであり、eの前にjが生えるのは……
まあ、ただここらへんの話は一番最初の話とは関係ないのだ。

脱線したお話をレールに戻そう。
恐らく、古ユナ・リパライン語(現代標準現代リパライン語の前身)において、複数語尾は元々は -s だったのだろう。
仮説として、-s語尾の単語に緩衝音が付かない状態で複数語尾が付いたものから、類推で-ssという語尾が成立したというものが真っ先に思いついた。しかし、集計してみると現代標準リパライン語で-s語尾の単語は全体の8.5%しかないのでこの説は採用し難い。
というか、-ssは/s/で-ssVが/szV/であることも重要なことだ。-ss /s/の形がやはり基本形に思える。
名詞語幹と格語尾或いは緩衝音に挟まれたときに有声化すると語幹と区別しづらくなるからだろうか? -/sz/-になって複数という形態的な部分と有声化という音声的な部分をどちらもはっきりと残すことと聞き間違えバッファを伸ばすためにこうなったとかは考えたが、どうもしっくり来ない。

2019年6月2日日曜日

クリンゴン語を適当に読んだときのログ


"qaleghnes, yu'eSlewnengan!"
>qalegh vIneH / I want to see you.
>The reflexive suffix -ʼegh indicates that the individual subject(s) does/do the action to her/him/itself//themselves.
>qa-……私があなたを
>legh……見る
>vI-……私が彼(ら)(それ(ら))を
>neH……欲する、したい
qa-……私があなたを
legh……見る
-nes……-neS(honorific)のことか?

yu'eSlewnengan……恐らく、yu`eSlewneが「ユエスレオネ」、語尾-nganはthlnganから「~人」に当たる語尾であると解釈。

"thlngan Duy jlH"
Duy……代理人
jlH……私は……である

"tlhlngan Hol Dayaj'a?"
Hol……言葉、言語
Da-……あなたがそれ(ら)を
yaj……分かる、理解する
>The interrogative suffix -ʼaʼ is used to form yes–no questions.[17]
>bIqal you are corrupt → bIqalʼaʼ? Are you corrupt?
-`a……疑問語尾、-`a`じゃね?

"'oH Dayajbe'chugh, ylH oD."
`oH……それは~である
Da-……あなたがそれ(ら)を
yaj……分かる、理解する
>The rover suffix -beʼ negates what precedes it but in the imperative mood -Qoʼ is used.[33]
>wInaD We praise it → wInaDbeʼ We do not praise it
boʼollaH You are able to verify it → boʼollaHbeʼ You are not able to verify it
-beʼ……否定?
>The suffix -chugh is used to form conditionals.[29]
>DaSamlaHchugh, DaSuqlaH If you can find it, you can take it
>(DaSamlaH you can find it, DaSuqlaH you can acquire (take) it)
-chugh……仮定法語尾

"Daj tlhlngan Hol."
Daj……興味深い

「はじめまして、ユエスレオネ人の方。
私はクリンゴン人の代理者。
あなたはクリンゴン語が話せるか?
あなたがそれを理解できるならば、……(訳注:良く分からなかった)
クリンゴン語は興味深い」

2019年4月27日土曜日

"Icekai" es xorln unde #7の精読


Edixa mi pen xelerl melx edixu Dethik jujojes ririp.
「目を覚ますとデティックは朝食を調理していた」

Selene mi nacees fua elx cene niv e'i celdin.
「俺は手伝えないから、謝りたかった」
>celdinはceldinoにすると標準的になる。

Edixa miss knloanil fastaj elx edioll tydiest fua viroto sietiversse'l.
「俺たちは食べた後に住んでいる人に会いに行った」

Edixu niss mol fal sniejusal xale polto.
「集会所のような場所に彼らは居た」

Edixu mi'i mili ly, elx liaxu als xel jusnys.
「俺を待っていたらしい、皆こちらを見ていた」
>elxはmelxにしよう。

Mal liaxa sjaer tusty fonto'l.
「すると、老人が前に出てきた」
>malのあとに,を入れると自然。

“Salarua, mal klie. Mi m'es Kachet Workanil, ers kaxilijasen lirj. Fqa io relod xale moliupi'a xveliser'i at. Verliestra.”
「おはよう、そしていらっしゃい。私はカチェット・ウォーカニル、村長じゃ。ここでは旅人も家族のように扱う。おくつろぎ下さい」
>malの後にklieが来ると動詞に見えるので注意。

Fastavil io alsa'tj fyrfsykon kverniacelemees mal bong'ia'i es.
「その後に皆と簡単に自己紹介し、雑談をした。」

Edicy mi veles stieso “Vel.”
「私はヴェルと呼ばれてしまっていた」
>一文の中に引用符があったり、無かったりする文章ではピリオドは引用符の外に打たれるのが慣例。逆にすべての文章が引用符内に収まる場合はピリオドは引用符内に打たれる。

Edixu niss lkurf starsken voleso fal kalzaneno melx edixa ers vxorlnajten lessononj.
「彼らは最近、日常的に起きていることを話し、割りかし興味深かった」
>"melx edixa jel lessononj la vxorlnajten (la lexe'c)."とでもしておくのが自然に聞こえる。

Pa lkurfonastan veles kaselo.
「しかし、その会話は中断された。」
>kacelo、これも方言行きかなあ。

Cun liaxa panqa'd josnyker favedurkon disnostarlt mal lkurf nu la lex.
「何故なら一人の若者が荒い呼吸で駆け寄ってきて次のように行ったからであった」
>ny la lex、方言行きですねえ。
>cunのあとに,を入れると自然。

“Ers skylolen! Liaxu xerf sniejuserl fon klian klierlst niryj da!”
「大変だ! スライムの大きな群れがここに来ているんDA!」
>daは詩語なので、deaを使うと良い。日常会話で詩語を使うのはそういった雰囲気である時や何らかの含意がある場合である。

Liaxa distoxtern lartmarle mol etixonj.
「瞬間、嫌な空気が流れた」

Vatimel liaxu fhasfa’d lartass flesve.
「更に幾らかの人間は震え上がった」

Tan, klian es fhasfa zelx edixa xel mi’st? Wioll jol niv ers malef setj lyme.
「ところでスライムといえば俺が見た何かなのだろうか? それほど危険には思えないが」

“Plaxci, klianastan es la lexen lujys?”
「すみません、スライムはそんなに恐ろしいものなんですか?」
>"es lujys li la lex?"と書くとそれらしい。"Harmie coss fau klianastan ydicel lij la lex?"とか書いても良いかも知れない。

“Fallerrgon p’es desnux, pakda es loler. Lirs, sniejuson ceco larta’it mol niv fal farfel pa. Ers fhasfa’d xorln.”
「個々は弱いが、数が多い。そもそも、普通は集団で人を襲うことは無いんだが。なにか奇妙だ」
>"Liaoll (klianass) sniejuson cec niv larta fal farfel pa..."と書いたほうが読みやすそうではある。
>"Ers fhasfa'd xorln"は違和感がある。"Ers xorln mels fhasfa"なら規範的だが、コロケーションとしてどうなのかがあやふやだ。要検討。

Tismal edixa mi’st retoverle’d chaku elx edixi biu e’c n.
「もしかして、俺が殺した奴の仲間が仕返しに来たってことか?」

Fi la lex it jisesner mol, elx cene niv itenes jol da. Deliu mi femarle es e’i.
「もし、あれのせいで死人が居れば、責任を取ることはできない。俺がどうにかしなけば」
>「死人が出る」は確かに難しいが、単純に"larta veles jisesno"とか"reto larta"とかでも良い気はする。"kjilf bisnylo/dueso/telerso"とかでも良いかも知れない。

Liaxa e cierjustel anpanqa li lartass zelx cene elm.
「戦うために十人くらいの人々が集まっていた。」

Etonon mol zantanasch fal steijyl adit alfaovali’etyl.
「鋤やらスコップなどそれぞれ装備を持っていた」
>alfaovali'etylは割と「ドリル」のような感じにも聞こえる。

Dethik lap mol fal ledydice pa hame si elm n.
「デティックだけは素手で居たが、彼はどうやって戦うのだろうか?」
>"mol fal ~"と書くと「~に居る、存在する」の構文になってしまうので、"-'s mol 形容詞"「Sは形容詞の状態でいる」構文を使って、"mol ledydicergolen"とでも書けばいいのかも知れない。

Mi m’icve steijyl e’c, lirj’l ijiesnon ta dalle als.
「俺は鋤を手にとって、皆と同じように村長の方を向いて立った。」

"Fua sesnudo naldesen kaxilijas’it da. Wioll miss zel elmo filx als dur do!"
「一族の村を守るためだ、我々は何があっても戦い続けるぞ!」
>fua節を閉じるのではなく、daの後にelxを入れて続けて良さそうだ。

2019年1月25日金曜日

"Icekai" es xorln unde #6の精読

和訳は私による拙訳であり。非公式である。


Edixa ny no io furdzvok mol kaxilijasastan'd tykuvu'd ipeiccal melx edixu jungkar josnynil mol fal fonto.
「やっと村の外の農地について、夕焼けが見えた。」

Tan mi letix laladiren lixer felx, jol cene niv lovim destek xelvinj.
「ところで、俺が元の(?)体を持っていれば既に足は動いてないことだろう。」
>恐らく、laladirenはtypoでladir(rg)en [la-dir(-rg-)-en]を表したかったのだろう。"ladirien"でも正しい。

Pa mi set tieesn niv fal no.
「でも、俺は全く疲れていなかった。」
>"set ~ niv"だと少し不自然に聞こえるが、許容範囲。「全く~ない」は"fav ~ niv"で表せる。

Dalle tisoderl fqiu lixer es le fentetieesnolen.
「思ったとおり、この体はよりスタミナがあるようになったのだろう」

Liaxu la lex xale iulo'i tisod melx liaxa snyr'it duxieno'i lex lusus xale annia deson klie mi'l.
「そんなことを考えていると、農作業を終えたような(?)男性が歩いて俺の方へと来た。」
>lex Vのあとにxaleが入るのは不自然。「農作業を終えたらしい」とするのであれば"jol lex lusus"などにすると良さそうだ。

“Salarua”
「こんにちは」

“Salarua. E jel niv co fal fqa. Co es xveliser lu?"
「こんにちは、この辺では見ない顔ですね(?)。旅人さんですか?」
>「この辺では見ない顔」のような表現としてはE以降はそのままでは読みにくい。"Co juluftie mol fqa."とかだと自然になりそうな気がする。

Mole niv mi lfurf la zelx edixa mi klie lerj waxunde, pelx xveliser zu fav qune niv mal fav letix niv es elx jol xorln.
「異世界から来たということを言うべきではないが、何もわからないうえ、何も持っていない旅人は奇妙だろう。」
>lfurfはlkurfのtypoであろう。
>"xveliser"に掛かるzu節が読みづらそうだ。この場合は動詞の前なのでlexを用いるのが自然で、"fav qune niv mal lexif letix xveliser"という感じにすると自然だ。

Mag edixa mecceries lkurf ny na lex.
「だから、一応次のように言った。」
>何も間違ってない文章なのだけど、la lex関連の日本語訳って困りますよね。

”Mer......mi fav qune niv fal cirla. Edixa e'c firlexil io mi mol fal dzosnir mal deson klie niryj’l.”
「えっと……本当に俺は何も知らないんです。気づいたときには草原に居て、ここへと歩いて来たんです。」

Jol edixa si besltertel fal no.
「今、彼は納得したらしい」

Vatimel edixa si xacerrga lkurf ny la lex.
更に彼はありがたいことに次のように言った。
>xacerrgaは接続詞なので、vatimelと位置を入れ替えると自然っぽさがある。

Asnixart l'es mi'i en nyrnenalo.
「異邦人である自分を泊めようと言うのだ。」

Cene niv mi tydiest xokise'l atif gelx jukarleno'i lostutes mal si'c josxe.
「よそに行くことは出来ないし、行くべきではないだろうから、親切に甘えさせてもらって、彼に付いていった。」
>惜しい、明記されていないので分かるはずもないがjosxeは付いていくものに-'iを取る。これについては辞書に追記する。

Chai danifaj jarlimite sniexij mol fal fqa'd kaxilijas jol.
「線でも舗装された道路でもないものが、この村にあるのかもしれない」
>ここで言及されているchaiは何の意なのだろう。

Vatimel fedial mol.
「更に、井戸があった。」

Ers set venal ol undestan'd dunalikafi'ame es xesxe?
「とても田舎なのか、もしくはこの世界の文明は昔ながら(?)なのだろうか?」
>"nefvatinen" [nef-vatin-en](未発達の)を作ったので、xesxeと入れ替えると良いかもしれない。

Liaxu la lex xale iulo'i tisod mal etixon furdzvok mol.
「そんなことを考えていると、直ぐに到着していた。」

Si'd dystis mol fal kaxilijasastan'd stikiesn ly.
「彼の家は村の末端にあるらしい」

“Cespal, ers lystet.”
「狭くて済まないね。」

Edixa la lex'i lex lkurf si'd dystis es flarngn pelx edicy niesiesn lius sniesej mal stidisnon nutines xinev.
「そう言う彼の家は質素だが、家具は綺麗であり、床は綺麗に掃除されていた。」
>flarngnは性格に使う。"mol filx xipiaoen zalizal"とかにすべきだろうか。

“Edioll mi nat kverniacelemees niv.
「自己紹介がまだだったね。」

Mi'd ferlk es Kachet Dethik.
「僕の名前はカチェット・デティック」

No'l plax.
「よろしくね」

Mal co'd ferlk es harmie lu?"
「それで、君の名前はなんだい?」

Ers nesnerl vilartienj niv.
「聞き慣れない音だ。」

Lkurfon fuaj deluses akrunfto mag corln ers niv aloajerlerm.
「会話のためには翻訳が必要だから、もちろんアロアイェーレームではないだろう。」

“Mi es Fixa Velertextiju.”
「俺はフィシャ・ヴェレーテシュティユ」

Edixa si fenxe oniex ad xper mi'c fal heska.
「彼は夕飯にパンとスープを出した。」

Mal plaxeson veles kantio mels fqa'd kaxilijas.
「そしてこの村について教えてもらうことにした」

Edixa si lkurf ny la lex.
「彼は次のように言った」

Kaxilijasastan mol fal fegard fon naa'ra fon Colkut mal andqassa'd larta sietiv.
「この村はソルクット王国の辺境に位置し、30人ほどの人間が住んでいる。」

Mal e niv fercaglesni fontalsj mal e's iesnyx niv pa ers vynut kaxilijas zu als miscarceldin.
「交流は殆無く、繁栄しているというわけでは無いが、皆が助け合う良い村だ。」
>一文目に動詞が抜けている"fercaglesni fontals mol niv"だろうか?

Edixa mi tidest mels sime.
「俺は彼自身についても尋ねた」

Si'd icco es Colkutu'd sysit melx liacy tast fua fhasfa'd lamiet ly.
「彼の故郷はソルクットの中心部であり、様々な理由で逃げてきたらしい。」

Nio si sietiv cixj lankirler fal niryj ly.
「今彼は医者としてここで暮らしている。」
>"nio"の位置は動詞の前(もしくは後ではnioj)が正しい。

“Liacy niss relod xale keples mi da.
「彼らは家族のように僕を受け入れてくれたんだ。」
>別に間違いではないが、daは詩語である。詩語を入れると、少し気取っているように聞こえるがそこまで強いニュアンスを持っているわけはないので別に気にしなくても良い。

Fal cirla, Kachet es restuten ferlk zu mi icve fal fqa.
「実際、カチェットという名字はここで得たものだ。」

Yst no ny y, als g'es Kachet fal fqa, e sties e'i fal tesnoken ferlk."
「言いそびれたけど、ここではみんなカチェット姓だから、名前で呼びあうんだ。」
>"miscaon"をstiesの前に挿入すると分かりやすくなりそうだ。

Fasta dekuto miss tastleus mal en sulaunala'l.
「雑談の後、俺達は水浴びして、寝床に入った。」
>間違いではないが、"fasta dekuto"の後にコロンを付けると読みやすい。

Edioll panqa lap jieniej mol pa Dethik parxam lkurf la zelx mole mi sulaun fal la lex.
「ベットは一つだけだったが、デティックは俺がそこで寝るべきだと言って譲らなかった。」

Skylolen iuloss voles fal sysnul.
「大変な出来事が今日起きた。」
>skylolenはどちらかと言うと事の重大さを表す形容詞なので、ここではsxeを使うべきだろうか?(後ろの文章を見てこの指摘は怪しくなった)

Pa mi mecceries tisod ny la lex. Elaja, cene mi niejod fal fqa'd unde.
「だが、俺はとりあえずこう考えた。大丈夫さ、俺はこの世界で生きていける。」

2019年1月18日金曜日

lipaっぽい単語から始まっている単語の問題


 リパライン語の単語には「リパライン語」や「リパラオネ民族」を表す<lipalain>、リパライン語を表記する文字を表す<liparxe>、「リパライン語」を表す<lineparine>、「リパラオネ教」を指す<lipalaone>(恐らく「リパコール」という名前の<lipakorl>も)という感じで通常は合成語などで対応できるものが語根として存在している。これらについて考えていきたい。

《lipalain》 - 「リパラオネ人のやり方」
 現代語"lipalain"の語源が前期古リパライン語の"lipha limi"で、この"lipha"が「暗黒」の意。この形態素は祖語の*liəと*pʰæの複合語で、前者はliaxaなどの相助動詞と同根で、後者は羅祖語*phedと関係があるかもしれないと考えられている。

・*lipha部分のことについて
 PMCFでアイル共和国のリナエスト側の島の名称である闇(ペド)島、リパラオネの混血や言語構造的影響をある程度受けているバート人という名称はラネーメ祖語の*phed由来であること、ラネーメ側から見てリパラオネ人世界は西側が近かったことを鑑みるとシアン祖語ではリパ・リナを指したのかもしれない
 祖語*liəは存在動詞で、古くは相助動詞では無かった。現代語のliaxa, liaxi, liaxuなどは祖語*liəの相変化型で、本来動詞節をとっていた物が中期理語で動詞が無変化となったことで成立した助動詞となってユナ・リパライン語派ではこれが定着したもの。古理語やヴェフィス語派では相変化は残っている。
 古理語の造語規則に従うと*liə+*phedは*liphとなる、これは恐らく「闇側に居る」=「西側に居る」=「リパラオネやリナエストに居る」という意味になると思われる。

・*limi部分のことについて
 limiは古リパライン語では「道」を指しているが、これから派生したlimeという動詞は「行う、実行する」という意味になっている。恐らく*limという形態素は「道、行く、行う、実行する」のような、現代ラネーメ語に近い意味範疇を持っていたのだろう。燐帝字母の「行」を見てみると「行く」、「行う」が同じ祖語の単語で存在している。

 つまり、*liphと*limがくっついた*liphəlim(əは緩衝母音)が語源となると思われる。その後以下の音韻変化を経てlipalainになった。

  • 古ユナ語までに有気音は完全に無声化した。
  • /i/は古典語、中期語の間で[aj]で発音される音韻変化を起こす場合がある。
  • 後述の通り、lineparineも元々は[lajneparine]だったため、変化の途中では[laipalain]だったが、恐らく語頭の音節では[aj]-[ej]-[i]と変化した。
  • 語末のmはnに変化する場合がある(ectientoceium - ectentoxun, ihaksam - fazan, ircalart vhensium - irvhenなど)


《liparxe》 - 「リパラオネ人の……」
辞書によると一番古い文字表にはlipha sheと書いてあり、lipha(つまり*liph)は古理語で沈黙を指し、*sheの意味はよくわかっていない。sheが含まれるのはpleashe(現代理語同根語はplax)、音象徴としてはshi(感謝)があるこれが語源かは確実ではない。     
 falira.lyjotafisは「沈黙と感謝で対比させて万物の表現を意味した」とする説を提唱した。古理語ではlipasheという単語が一般的に使われた。liphaの古理語辞書音は[lifa]であるため、元々は[lipʰa ɕe]のような発音で中理語までに無気音化したために[pʰa]が[pa]になり、アクセント位置が後ろから二つ目に固定されたために長音になった。現代標準語では初期はliparsheであったが、表記ゆれとして段々とliparxeになっていった。shに当たる音は現代語ではx/shの音素の変化と共にɕ - ʃ - ʂと変化していった。

《lineparine》 - 「リパラオネ人の高貴な言葉」
中期リパライン語では/lainepaline/だったため、lipalainの後部の要素と*parineがくっついたものと考えられる。*parineは恐らく語源が「高貴な言葉」という意味の"pharinue"で、lineparineの古い形はlainəpharinueのような形だろう。つまり「リパラオネ族の高貴な言葉」という意味である。

《lipalaone》 - 「リパラオネ人の文化風習」
liparxeと同じく前の部分はlipaは*liphであろう。*laoneは良く分からないが、faik{leone}やyues{leone}(iues{leone})などと同根の単語で「土地やその土地に結び付けられた文化風俗、慣習」を表していたのだろう。つまり「リパラオネ人の文化風習」ということになる。