2017年11月11日土曜日

水銀をファイクレオネの伝統医療に使いたいログ

fafs「水銀をファイクレオネの伝統医療に使いたいじゃん!」

・液体水銀は消化管から殆ど吸収されず排出される。
→ほとんど吸収されないのであれば、吸収された分をキレート剤相当で排出する。
fafs「クエン酸?緑黄色野菜を食べさせるマン?」

「キレート剤による塩化メチル水銀の体外排除促進について
―14CH3HgClとCH3203HgClとを用いた比較実験―」
小川 栄一1), 都築 博2), 山崎 八代栄2)
1) 群馬大学医学部薬理学教室 2) 群馬大学医学部アイソトープ研究室
https://www.jstage.jst.go.jp/article/radioisotopes1952/25/1/25_1_19/_article/-char/ja/

99「硫黄では」
fafs「硫黄。」
fafs「チオール。」
99「つまり、システイン」

システイン「少量ではあるが大部分の蛋白質にみられる。食物では、赤唐辛子、ニンニク、タマネギ、ブロッコリー、芽キャベツ、オート麦、小麦胚芽に含まれる。」
メチオニン「メチオニンを多く含む食物として果物、肉、野菜、ナッツ、マメ科の植物があげられる。特にホウレンソウ、グリーンピース、ニンニク、ある種のチーズ、トウモロコシ、ピスタチオ、カシューナッツ、インゲンマメ、豆腐、テンペに豊富に見られる。肉類では鶏肉、牛肉、魚肉など大部分のものに含まれる。」
「食品中の硫黄含量について(第1報)―77食品中の硫黄含量―」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/eiyogakuzashi1941/57/3/57_3_177/_pdf

99「ケラチンの11%がシステイン、システインには硫黄が含まれる。」
fafs「湯の花と一緒に飲んでたのかも!」
99「辰砂は硫化水銀ですから、それなら辰砂で良いのでは」
sh「辰砂なら大丈夫ってこと?」
99「中国王朝の皇帝が死んでんよね」
fafs「こうして最初に戻るのであった。」

2017年11月7日火曜日

FAS改定に関するログ

jekto.vatimelijuはファスマレー語の古資料を発見し、ファスマレー語が完全なアポステリオリ言語であったことを判明させた。このため、リパライン語のアプリオリ指向原則に従い、存在する改定前ファスマレー語の単語に対して対処する必要が出てきた。また、fafsはこれを受けて改定後ファスマレー語用語源記号FSMを定義した。

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《リパライン語における改定前ファスマレー語源単語の対応》
1. 基本的にすべてを廃止し、新たに許容される造語・派生語作成で対応する。
2. 一部の固有名詞、概念に大きな影響を与えた単語、ファスマレー語そのもののアポステリオリ性が影響していない固有名詞が語源の単語は語源解釈変更で対応する。
3. 1.に該当する単語の派生語は全て基本廃止とする。

attadzem
1【名詞】薬膳 薬膳料理
yat kud zepnは規則に沿うとyakuzenに復号可能であるためアポステリオリであるため1.に沿って廃止とする。

dzylisard
2【名詞】検察官
2【名詞】(アレス裁判における)訴人 ジュリザデ ジュリザード
語源のju ri za deの訳語ジュリザデが何であるかは不明だが、そもそも母音に対応する語尾が付いていないため固有名詞にあたるものか、無作為造語であると考えられ、これを変更する場合年表など大きく影響が出るため2.に該当し、廃止しないものとする。

fasmaler
2【名詞】ファスマレー語 ファスマレー
語源fat sud mat lepの復号形fasumaleは訳語ファスマレーにそのままで対応している。ファスマレーがなんであるかは不明だが、固有名詞にあたるものか、無作為造語であると考えられ、これを変更する場合年表など大きく影響が出るため2.に該当し、廃止しないものとする。

ilsdorcis
1【名詞】弁護士
1【名詞】(アレス裁判における)イリジョドシル イルスドーシス
語源il i jod silはiijosiに復号でき、これは元が「良い助士」であると考えられる。アポステリオリであるため1.に沿って廃止とする。

kymerf
1【名詞】裁判官
1【名詞】(アレス裁判における)キルメプ
語源kil mepはkimeに復号でき、これは元が「決め」であると考えられる。アポステリオリであるため1.に沿って廃止とする。

nabi'a
1?【名詞】税
1?【他動詞】(-'sは-'iに対して-'cを)課税する
3?税務当局
3?【形容詞】免税の 無税の
語源junabiwan hepは第一語は固有名詞のジュナビワンという都市名であるが、hepは「~へ」という助詞であると考えられる。要素は少ないが一応アポステリオリであるため1.に沿って廃止とする。

nebiua
2【名詞】都 京 中央都市 首都
2【名詞】首都圏 首都地域
語源junabiwanは都市名であり、おそらく恣意的造語である。2.に該当し、廃止しないものとする。

rattemme
2【名詞】ラッテッメ人 人型ラーデミン(lartendemin)の自称。
語源rat nep mepは復号するとraneme、つまりラネーメになり、元が固有名詞であるうえ、これを変更することは年表など大きく影響が出るため2.に該当し、廃止しないものとする。

sadirlba
1?【名詞】裁判所
1?【名詞】(アレス裁判の)裁判所
語源za dir batは復号zadibaで裁判に近いが異なるうえ、意味不明になる。しかし、語源意味には裁判所と書かれているため裁判所の意図で改定前ファスマレー語を利用した可能性があるため、アポステリオリであるため1.に沿って廃止とする。

splieng
1【名詞】魚市場
語源zepilhingは復号するとzeihingになり、「贅品」つまり語源意味の「贅品庁」を指していることがわかる。アポステリオリであるため1.に沿って廃止とする。

tatiryzurtmil
1【名詞】温泉 タティーユツートミル 風呂 お風呂 風呂に入る行為
3【自動詞】風呂に入る 水浴びする
語源attudil ilzudmilは復号するとatui izumiとなり、「熱い泉」で語源意味と同一となる。アポステリオリであるため1.に沿って廃止とする。

xavi'ane
2【他動詞】納税する
語源がnabi'aと同一であるため、nabi'aと同様の理由により廃止とする。

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廃止語となったのは以下の七単語である。

attadzem 薬膳 薬膳料理
ilsdorcis 弁護士 / (アレス裁判における)イリジョドシル イルスドーシス
kymerf 裁判官 / (アレス裁判における)キルメプ
nabi'a 税 / (-'sは-'iに対して-'cを)課税する / 税務当局 / 免税の 無税の
sadirlba 裁判所 / (アレス裁判の)裁判所
splieng 魚市場
tatiryzurtmil 温泉 タティーユツートミル 風呂 お風呂 風呂に入る行為 / 風呂に入る 水浴びする

あと、jekto.vatimelijuがNKSS(Neprtodnipad kudephadud Sepn-Sepn)を発見した。これも語源表記がなされていないが、改定前ファスマレー語として復号すると「ネルトニア・クエハヅ・戰線」となるので1.にあたり、廃止とする。

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造語

(要考察)薬膳 薬膳料理
tanlater[tanlat-er] 弁護士 / (アレス裁判における)イリジョドシル イルスドーシス
flarskaver[flarska-v-er] 裁判官 / (アレス裁判における)キルメプ
vaxelfust[vaxelf-ust] 税
vaxelfustes[vaxelf-ust-es] (-'sは-'iに対して-'cを)課税する
vaxelfustal[vaxelf-ust-al] 税務当局
vaxelfustnerfe[vaxelf-ust-nerfe] 免税の 無税の
flarskaval[flarska-v-al] 裁判所 (アレス裁判の)裁判所
enorviumim[enor-v-iumim] 魚市場
(要考察) 温泉 タティーユツートミル 風呂 お風呂 風呂に入る行為 / 風呂に入る 水浴びする






2017年11月6日月曜日

イェスカと多言語政策

イェスカの生涯とユエスレオネにおける多言語主義は基本的にファイクレオネにおける言語政策に関する長い洞察と反省の末に定着したものであったと言われている。

1. 独立国家戦争時代における言語政策・運動

ピリフィアー紀元後17世紀、民族自決の興隆によって世界戦争に陥るというさなかのことである。この頃の言語政策に関してはナショナリズムの強力な影響を受け、その上民族自決の概念から少数言語への排除的政策が行われたのが特徴的であった。イェスカはこのような時代(1769)に生まれたのであった。

2. イェスカの生涯

1769年に生まれたターフ・ヴィール・イェスカは青年期は次のように右翼活動に傾倒していた。時期がナショナリズムの時代であったことと、言語政策が当然に排除的であったことからこのような思想に傾倒したということは当然であった。
「Phil.1769年にレアディオブルミッフェル戦争最中のデーノ共和国に生まれ育つ。疎開地のラネーメ国で1780(11歳)にしてラメストテロの被害を目の当たりにし、xelkenに強い憎悪を抱くようになる。1998年(28歳)で第二次ホメーンアッシオ戦争で祖国の敗戦を知り、祖国の解放のためにリパナスに傾倒するようになる」
しかしながら、途中からイェスカは差別主義や階級主義を嫌ってリパナスを離れてしまう。
「がリパナス内部での差別主義や階級主義に当てられてリパナス活動からは直ぐに手を引くようになる。後に友人から革新チャショーテへの参加を要望され、チャショーテへ参加し、精力的に革新派の思想書を読み耽るようになる。2000年、ユエスレオネにおける政府再編における地上政府の横暴と搾取、階級闘争を目的に同じく革新チャショーテのターフ・フューザフィスや妹のターフ・ヴィール・ユミリアと共にユエスレオネ人民解放戦線を設立し、武力闘争路線を抑えながら、言葉による説得で無血革命を行なおうとする方針を固持する(説得主義)、2001年、FQXEによって社会主義や共産主義に対する規制が強まり、言論活動中の人民解放戦線メンバーが逮捕される事件が発生する。2002年、自ら残りのメンバーを纏め上げ、ユエスレオネ共産党を設立。宣伝局長アレス・デュイネル・エレンを立てて武力闘争を煽動した。2003年、ユエスレオネ社会主義連邦の成立と共に自らが首相となる」

こうしてユエスレオネの首相になったイェスカは自分の思想を共産党独裁政権下で推し進めていくわけであるが、イェスカの心の中には一つ以前の時代で起こった出来事が心に残っていた。ファスマレー国語化運動はとにかくユエスレオネ共産党メンバーであるラヴィル・ド・エスタイティエ・ラタイハイトなどの人物が関係していた運動であるわけだが、この運動はイェスカの多言語政策に強く影響を与えた。しかしながら、イェスカはユエスレオネにおける行政言語政策と教育言語政策に関する政治の進行は余り推進されず、主に社会悪の排除に全力を振っていた。

3. イェスカの死後とイェスカ主義とデュイン

イェスカは暗殺される。イェスカの死後にユエスレオネ連邦の全体のデュイン戦争以後のデュインの民族自治県の成立によって、ユエスレオネにおける言語政策はイェスカも支持していたこともあり、後任の首相であるユミリアによって支持され、多言語政策が推し進められた。






2017年11月5日日曜日

ヴァッリプラ・アールヴァール

வல்லிபுர ஆழ்வார்

  வடமராட்சியில் உள்ள கோயில்களில் சிறப்புப் பெற்று விளங்கும் கோயில் வல்லிபுர ஆழ்வார் கோயில்.
 ヴァダマーラッチにある寺々の特別な影響で栄えた寺にヴァッリプラ・アールヴァール寺院がある。
இந்த வல்லிபுரக் கோயில் தொன்றியதைப் பற்றி ஒரு கதை உன்டு.
 このヴァッリプラ寺院にதொன்றியதைப்に関して一つ話がஉன்டு。
ஒரு நாள் இரண்டு பிள்ளைகள் கடலில் மிதந்து கொண்டு வந்தனர்.
 ある日、二人の子供が海に漂流していた。
இவ்வாறு சில நாட்களாக இந்த இரண்டு பிள்ளைகளும் கடலில் மிதப்பதும் தத்தளிப்பதுமாக விளங்கின்ர்.
 そして幾日の間、この二人の子供たちは共に海で漂流していた。
வல்வெட்டித் துறையாக்கள் இந்தக் குழந்தைகள் ஒவ்வொரு நாளும் தத்தளிப்பதைக் கண்டு அவற்றைக் காப்பாற்ற வேண்டும் என்று பல தடவை முயன்றனர்.
 வல்வெட்டித் துறையாக்கள்この子供たちはある日

  ஒரு குழந்தை ஆலிலையிலும் மற்றக் குழந்தை வெறும் நீர்ப்பரப்பிலும் காணப்பட்டனர். இந்த இரண்டு குழந்தைகளும் மிக்க அழகு. ஆழகான குழந்தைகளாக இருக்கின்றபடியால் இவை தெய்வத் தன்மை பொருந்தியதாக இருக்க வேண்டும்.
ஒரு வேளை இதுகள் எங்களுக்கு எதற்காவது வழிகாட்டியாக விளங்கினமோ எந்று வல்வெட்டித்துறையாக்கள் நினைத்தனர்.
அந்தக் குழந்தைகைள் ஆட்கள் அணுகியதும் அவை மறைந்துவிடுமாம்.
இதனால் அவர்கள் "பிள்ளைகள் நாம் ஒன்றும் செய்யமாட்டோம். அவர்கள் விரும்பியபடியே நடப்போம்." என்று நேர்த்தி வைத்தனர்.

  பின்னர் அங்கேயுள்ள ஒரு பெண்ணை அழைத்து வந்து பிள்ளைகளைக் கரைக்குக் கொண்டு வந்தனர்.
பின்னர் அவைகளை அழைத்துக் கொண்டு வரேக்கை கொஞ்சத் தூரத்திலே இரண்டு மூன்று கட்டை இருக்கும்.
அந்தப் பிள்ளைகள் தண்ணி வேண்டும் என்று கூறினர்.
பிள்ளைகளை அதிலேயே இருத்திவிட்டு அவர்கள் தண்ணி எடுத்துக் கொண்டு வெந்து பார்க்கும் போது ஒரு பிள்ளை சிலையாகி இருந்தது.
அவர்கள் மிகவும் கவலையுடன் அந்தச் சிலைக்கு நிழல் செய்து போட்டு மற்றப் பிள்ளையைக் கூட்டிக் கொண்டு ஒரு காள் கட்டை தூரம் சென்றனர்.
அப்ப அந்தப் பிள்ளை ஒரு இடத்திலை இருந்திட்டுது.
இருந்தவுடனே சிறிது நேர்த்தில் அந்தப் பிள்ளையின் வலது கை மேல் நோக்கியது.
அத்தோட தும்பிக்கை ஒன்றும்வளர பிள்ளை சிலையாகிவிட்டது. இவர்கள் அதுகள் தெய்வங்கள் தான் எண்டு வணங்கிக் கொட்டில் கட்டி இரண்டு கோயில்களாக்கினர்.

  முதல் குழந்தை சிலையாகி இருந்த இடத்தில் அமைந்த கோயில் இன்று வல்லிபுர-ஆழ்வார் கோயில் என்றும், மxRxRஅக் குழந்தை சிலையாய் இருந்த இடத்தில் அமைந்த கோயில் குருக்கட்டு பிள்ளையார் கோயில் என்றும் அழைக்கப்படுகின்றன்.
இரண்டு தெய்வங்களும் கிழக்கு முகமாகக் கடலைப் பார்த்தபடி அமைந்திருக்கின்றன.

கதை கூறியவர் - திருமதி பொ. கனகம்மா,
நெல்லியடி வடக்கு, கரவெட்டி.

20171105 転写完了、ヴァッリプラ・アールヴァールはこの寺のことと思われる。

2017年11月4日土曜日

1.2.2.4 Religion

「神」という意味の単語[∗pee (y), ∗peen. 4438, in SD II, but in SD I ‘devil’] と「王」という意味の単語 ∗koo/ ∗koont- [2177]がある。動物の犠牲を祈りの成就のために行っていた。この単語 *weeLはおそらく南インドのアーリア化の後に「火で作られた供物」という意味に変わった。テルグ語におけるweel-cuは「炎で犠牲とすること」であり、weelpuは「神」を表す。これら*weeL(*weH-Lにさかのぼる)の意味は「祈る、望む」であった。動物の犠牲を表す特別な動詞はaL-V-kkは南ドラヴィダ語Ⅱとブラーフイー語で存在した。「汚染」(*pul-V)は様々な状況に見られる。月経を表す*muTTu、誕生を表す*pur-uTu、死などである。ドラヴィダ祖語を話してた人々の宗教的儀式は良く分かっていない。学者は現在の儀式的実践の規定において彼らに関して推測している。

TDL p.11まで

1.2.2 Proto-Dravidian culture

 ドラヴィダ祖語の話者の文化は基本的にDEDR(1984)の比較単語によって再構される。これに類似したものが他の語族に対しても行われている(Mallory 1989: ch. 5)。しかし、
ドラヴィダ語族には、いくつかの制限がある。:

 1. 四つのドラヴィダ語は、紀元前から11世紀の間に歴史と文学を残している。文語の有効な辞書は、それぞれの10万以上の単語・語法に広範囲にわたっている。口語に関してはこれは同一水準で残っていない。トゥル語は現在六種の辞書があるが、コダグ語にはそれほどのトゥル語と同じほどの準文学的な辞書がない。The BaDaga-English Dictionary 1992 by Hockings and Pilot-Raichoor はかなり大きな辞書である。残りの二十また口語はとにかく記録されていない。したがって、ほとんどの同根語は、南ドラヴィダIに属するタミル語、マラヤーラム語、カンナダ語と南DravidianIIに属するテルグ語の4つの文学言語になる。他のグループにおける借用語の不在は単語または概念がドラヴィダ祖語に無かったということを代表している。マイナー言語における名前(借用語)の存在とメジャー言語におけるその除外は文語においてそれが消滅するという重要な現象がみられる。しかし、逆はない。

 2. 史料の意味論的変化はある程度、原義と変化の潮流を識別するための手掛かりをくれる。私たちは確かな歴史的、論理的根拠に着目し、これらのいくつかが推論的存在の危機である。

2017年11月3日金曜日

1.2.1.1 Early traces of Dravidian words

カルドウェルとその他の学者はドラヴィダ語族のいくつかの固有語に対してギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語からの単語を参照して言及している。これらの信憑性は議論の対象とされている。少なくとも以下二つの例に関してはもっともらしくみえる。

(1) 希 oruza/oryza/orynda "米" と PD *war-inci > タミル. マラヤーラム.  テルグ. wari Pa. verci(Ⅰ) Gad. varci(Ⅰ) Gondi wanji "米" [DEDR 5265]
この例においてはタミル arisi(南ドラヴィダ祖語 *ariki)に関してはカルドウェルは次のように言及している。
古ペルシャ語 virinza skt. vrīhi- "rice" 非インド・ヨーロッパ語源はドラヴィダ語族からの借用年代決定においては問題を引き起こしている。(?)
(2) 希 ziggiberis/zingiberis "生姜"は南ドラヴィダ祖語の合成語名詞 *cinki-wér (PD * wér "根") > パーリ語 singi, singivera, skt. SrNgavera-; タミル語 マラヤーラム語におけるinyciは*cinkiの*c [>s >h> ] > Øと-kが前母音の前において軟子音化する規則に沿う。ギリシャ人地理学者プリニ(紀元後1世紀)とプトレマイオス(紀元後3世紀)に引用された南インドの地名の多数は、-our, -ouraで終わっているが、これはūr "街"(PD *ūr)である。
これは紀元前2000年あたりにアーリア人が入ってきたときに北西インドにドラヴィダ人がいたという確証である。リグヴェーダ時代のサンスクリットつまり紀元前1500年ごろの早期サンスクリットはすでに数十の語彙を借用していたことが知られている。例として、ulūkhala- "しっくい", kuNDa "穴を掘る", khála- "脱穀場", káNa- "一つ目の", mayūna "クジャク"などを1954年にエメノーがあげている。リグヴェーダ時代からのそり舌子音の導入はサンスクリット話者とドラヴィダ語族との接触によるものであるとされる。
ロシアのインド学者ニキータ=グーロフはリグヴェーダにおける80語ほどの単語がドラヴィダ語から来ているとした。(第一、第十またその他のマンダラの146の賛美詩に現れる)
例として、RV 1.33.3 vaila (sthána-) ‘open space’: PD ∗wayal ‘open space, field’
[5258], RV 10.15 kiyámbu ‘a water plant’: PD ∗keyampu (<∗kecampu) ‘Arum colacasia, yam’ [2004], RV 1.144 vrís ‘finger’: PD ∗wirinc- [5409], RV 1.71, 8.40 víLu ‘stronghold’: PD ∗wītu ‘house, abode, camp’ [5393], sīra ‘plough’: PD ∗c¯er, RV 8.77 kánuk : PD ∗kánikkay . ‘gift’ [1443] ‘T.Ya. ElizarenkovaはkáNukaは不明瞭な意味の単語であり、これも多分印欧語族に属さない語源であるとした。
グーロフはいくつかの固有名詞に関しても引用し、namuci, kīkaTa, paramagandaはドラヴィダ語族語源であるだろうとした。

TDL p.6 中段まで