The dravidian languageはBhadriraju Krishnamurtiが書いた。バドリラージュー・クリシュナムールティはハイデラバード中央大学の副学長であった。
1. Introduction
1. Introduction
- Robert Caldwellって奴が最初にDravidianって単語を使ったんだぞ
- サンスクリットの/draviDa/から来てるんやで
- クムーリラバッタのタントラヴァーッティカというのにタミル語に対応するサンスクリットの単語(しかし、間違った)が書かれている
- 「米」”泥棒” 「蛇」”罪” 「道」”渡れない” 「女性」”花輪” 「胃」”敵”……Zvelebil 1990a「ガバガバやんけおまえん訳!!!」
- "draaviDii"は元々、マイナープラークリット(少数言語のことを云ってるのか、インド・アーリア語族のプラークリットを云ってるのかは知らん)を喋るパイシャーチー(悪魔的な)と呼ばれるグループを指していたんや(注:ちなみにタミル語のபிசாசர்と同語源でghostと同義なんやで)
- 上記はマヌスムリティ、バラタのナーテャシャーストラ、マハーバーラタにあるものをCaldwellが例証したものである。
1.2 Dravidians: prehistory and culture
1.2.1 Prehistory
- "Aryan"と"Dravidian"が人種的な用語でないのは当然だよなあ?(注:いや知らんぞ)
- Cavalli-Sforza(2000)は、人間の遺伝子と言語との統計的相関に関する著名な権威が、人種の均質性の存在を否定している
- 彼は人種系統図と言語系統図には興味深い相似があるだろうといってる
- どうやら、Cavalli-Sforza(2000)のfigure 12, p. 144はノストラティック大語族を支持するものらしい。比較的堅実な証拠によって補強されてないがと書いてある。
- ドラヴィダ語族話者の拡大に関して、Cavalli-Sforza(以下CS)は次のように述べている:ドラヴィダ語族の中心的な源流はインドの西側のどこかのように思える。南カスピ海らへんから来た可能性もある。この語族は北インドではちりじりの孤立地帯で見つかっている。ただし、ブラーフイーに関しては西パキスタンに位置する。
- CS「インダス文明とか~エラムとか~ドラヴィダは関係あるかも✧♡(⋈◍>◡<◍)。✧♡」(Krishnamurti「これは罠で、実はエビデンスに欠ける」)
- ドラヴィダ語族を話していた人々がインドに入った時の考古学的・言語学的証拠がない。
- しかし、私たちは紀元前15世紀にはインドの北西においてリグヴェーディック・アーリア人が進入してきたことをすでに知っている
- Cavalli-Sforza et al.の早期の著作(1994:239)はドラヴィダ語族話者を含む28の南アジアの系統図を載せている。
Cavalli-Sforza et al.(1994:239)による28の南アジア民族系統図 |
p.5まで
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