2017年7月22日土曜日

ユエスレオネ社会主義経済における経済活動の詳細

 ユエスレオネは、phil.2002年にユエスレオネ内戦によって勝利したユエスレオネ共産党によって一党独裁の共産主義国家となった。この社会主義経済においては、市場経済ではなく統制経済下の元で事が進んだ。つまるところ、すべての資本は国が所有するため、企業は全て国営となった。また、食事、衣服、住宅に関しては労働をする限り、無償でこれを提供した。ユエスレオネでこの環境が一年で成立したのには外部との接触が、エルフ熱パンデミック後一切なかったからであり、急速に社会主義化が進んだ。しかしながら、ハタ王国との接触、PMCFとの接触から、イェスカは民主化を含めた強硬的な経済政策であるショレゼスコを施行し、ユエスレオネは自由化を果たす。つまり、インターネットが開発され、利用され、発展するにしてもユエスレオネの強固な共産主義的国家体制は一年しか保たれていないのであり、これがインターネットの発達に影響するものと考えるとして、一年で何が出来たのかということは考察しなければならないのではないだろうか。
 考えたが、つまるところユエスレオネの共産主義的国家体制は一年しか保たれていなく、そののち社会民主主義的国家となった。ここで重要なところはショレゼスコの時点で労働組合が強い権力を持つようになり、その労働組合を統括しているのが国家であるという体制は変わっていない。これは国民の統制のために働いている機構ではないが、ユエスレオネの共産主義的国家体制の余りものとして残ったようなものである。
 共産主義体制の一年の間、では自由に経済活動が出来なかったのかというと、まあそうであるとしか答えようがない。闇市で闇金で物を買ったり、無許可で物の交換を行うことはその体制下では違法とされ、経済活動という概念自体がその一年間は崩壊した。つまるところ、ここでショレゼスコの無理やりな政策が分かってくるのだが、そのとおりショレゼスコ以降は、ハタ王国やPMCFの商人にうまいことやられてしまうのである。しかしながら、量は量、ユエスレオネ人もいつまでも馬鹿なわけでもなく、デュインという広大な土地を利用して、国家の威厳を取り戻すのである>ででででん!<

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